先週の日曜日、兵庫駅から海側をぶらぶら散歩してきました。
今回の散歩の起点、JR兵庫駅です。
神戸市には、「神戸駅」「兵庫駅」と、知らない方にはここが中心部?
と、思わせる名称の駅がいくつかあるのですが、一番の繁華街に近い駅は
「三宮(さんのみや)駅」です。
しかも、新幹線が止まるのは「新神戸駅」で、三宮から地下鉄で行かないと
行けません。
何とも不思議な・・・(^_^;)
と、まあ、そんなことは置いといて・・・
兵庫駅から南東へ、少し行くと「兵庫大仏」で有名な能福寺があります。
実は、兵庫大仏を間近で見るのは初めてです。
現在の大仏は、平成3年に再建されたものですが、初代の物は戦時中に
金属類回収令で国に供出されるまで、日本三大大仏の一つに数えられた
そうです。
ところで、今ウィキペディアで能福寺のことを調べてみると
『アメリカ彦蔵』こと浜田彦蔵(ジョセフ・ヒコ)による寺の由来碑
(日本最初の英文碑)があるとのこと・・・
しまった!
見逃しました(^_^;)
そのまま東へ、港へ向かいます。
古代大輪田泊の石椋
昔の兵庫港の防波堤や突堤の基礎として使われた石だそうです。
お腹が空いてきた頃に、目に付いた「洋食の赤ちゃん 兵庫南店」
「洋食の赤ちゃん」は、神戸に何店かあり、東灘のお店には何度か
行ったことがあったのですが、このあたりにあるとは知りませんでした。
各店は、それぞれ独立しているそうですが・・・
早速入ってみることに。
私が食べたビーフカツ、独特のソースでとても美味しかったです。
こちらは、妻が食べた、ヘレ(ヒレ)カツセット。
豚のヒレカツと、プリプリのエビフライがのっています。
こちらも味見しましたが、美味しかったです(^_^)
食事の後は、散歩の続き
工場や住宅に挟まれたところにある竹尾稲荷神社
境内に「高田屋嘉兵衛顕彰碑」があります。
今回一番訪れたかったのが、高田屋嘉兵衛ゆかりの場所です。
高田屋嘉兵衛さんって、ご存じでしょうか?
司馬遼太郎の『菜の花の沖』で、描かれている廻船商人ですが、
一商人にとどまらない、素晴らしい人なのです。
ウィキペディアによると
高田屋嘉兵衛(たかだや かへえ、明和6年1月1日(1769年2月7日) – 文政10年4月5日(1827年4月30日))は、江戸時代後期の廻船業者、海商である。
淡路島で生まれ、兵庫に出て船乗りとなり、後に廻船商人として蝦夷地・箱館(函館)に進出する。
国後島・択捉島間の航路を開拓、漁場運営と廻船業で巨額の財を築き、箱館の発展に貢献する。
ゴローニン事件でカムチャツカに連行されるが、日露交渉の間に立ち、事件解決へ導いた。
となっています。
国道2号線から少し入った歩道に、ひっそりとある
「菜の花ロード」の石碑
矢印の方に進むと
「高田屋嘉兵衛 本店の地」がありました。
ここを探してたんです(笑)
函館のように、嘉兵衛さんの銅像も欲しいところです(^_^;)
高田屋嘉兵衛と兵庫の関わりなどが書かれてありました。
そこから西へ戻って、兵庫運河の方へ
風波が高く船の航行に難のあった、和田岬を回ることを避けるために
造られた運河だそうです。
運河を少し行くと、「兵庫城跡」(最初の兵庫県庁跡)が
ありました。
地元兵庫県のことでも、知らないことだらけです・・・
住吉神社の清盛塚と琵琶塚
平清盛の墓所とされた、石造十三重の供養塔です。
近くでもけっこう楽しめる場所が、たくさんありますね。
また、歩いたらご紹介します。