先々週に引き続き、明石を散歩してきました。
前回は、175号線をまっすぐ林小学校まで下り、そこから西へ行きましたが、
今回は、東へ行くことにして、まずは林小学校の前まで。
ここまでで、だいたい4km弱、丁度お昼前頃です。
と言うことで、昼ご飯・・・前回同様玉子焼き(明石焼き)とも思ったのですが、
事前に食べログなどを見てみると、「ふじきち」と言うお店が随分評判がいい。
樽屋町にある、「富士吉本店」には、明石に住んでた頃よく行ってたのですが、
ここは行ったことがありません。
と言うことで、行ってみることに。
お昼少し前でしたが、店の前の駐車場はいっぱい。
店内もほぼ満席で、その後すぐいっぱいになりました。
カレーうどんが美味しいそうなので、カツカレーうどんを注文。
見た目からも分かるかもしれませんが、スパイシーじゃなくまろやかで優しい味。
まさに、関西のうどん屋さんのカレーうどんと言う感じです。
麺もしこしことコシがあって美味しかったです。
さて、お腹もふくれたところで、小学校の前まで戻って、町を散策。
林の町は、もともと城下町で、所々に鍵曲がりになった道など
今でもその風情が残っている所があります。
こちらがその、お城跡「船上(ふなげ)城跡」です。
近くに行きたかったのですが、田んぼに囲まれていて
近づけませんでした・・・残念!
船上城は、キリシタン大名で有名な、高山右近が築城したお城だそうで、
『兵庫の城旅100選』によると
天正十三年(1585)八月、天下を取った秀吉は大名の国替えを行い、高山右近には高槻四万石から、明石六万石への国替えを命じました。
明石に入封した右近はさっそく城造りをはじめました。それがこの船上城です。
となっています。
その後、明石城が作られ、船上城は廃城となったそうです。
明石城より、先だったんですね・・・知りませんでした(^_^;)
くわしくは、http://www.hyogo-tourism.jp/shirotabi/100castles/areas/detail.php?pageid=33&area_select=2&page=1
船上城跡の近くにある「宝蔵寺」
高山右近が、明石領主になった際、礼拝所としたそうで、
マリア観音の十字架が保存されているらしいです。
その他、「牝鹿の松」(現在は二代目)伝説の松があります。
「牝鹿の松」伝承を伝える札
有名な漁場「鹿ノ瀬」も、この伝説から来ているそうな。
空襲で焼けた後、二代目の「牝鹿の松」
牝鹿の松の歌碑
地元を散策するだけでも、いろいろ興味深いことが多いですね。
こちらは、船上城跡から南へ行ったところにある「密蔵院」
地上15mの報徳大地蔵尊です。
かなり大きいです。
子供の頃「船上の大仏さん」って言ってましたが、地蔵尊だそうです。
ちなみにお地蔵さんは、坊主頭で頭がつるつるで、それに対し大仏など仏さんは
螺髪というブツブツがあるので、見分けられるそうです。
なるほど・・・・
こちらは、境内にある「油掛地蔵」
一願地蔵とも呼ばれ、油をかけながら一つだけ願い事をするとかなうそうです。
密蔵院のすぐ南には、望海浜公園があり、松林が広がっています。
そのすぐ南は、明石海峡です。
長くなりましたので、次に続きます(^_^)