少し前にお知らせ致しました、先日亡くなられた越前鍛冶五代目、
浅井正美さんのことを、前から書こう書こうと思っていたのですが、
何から書いていいか、なかなか考えがまとまらず来てしまいました。
一昨日の土曜日、ご自宅へ行ってきましたので、そのことから
書いてみます。
ご葬儀に参列出来ず、とても気になっていたので、やっとお伺い
出来、御霊前にお線香を上げさせて頂きました。
とてもきれいに掃除の行き届いた和室に祭壇が作られ、お元気
だった頃の浅井さんの写真や、ナイフショーなどで受賞した賞状、
作品の写真などが飾られていました。
ご遺影の前で、奥様といろいろお話しさせて頂いたのですが、
その中で
「インターネットで紹介してもらって、いろんな人に知ってもらう
ことが出来た。」
と、おっしゃって頂きました。
なんともありがたいというか、私の方こそ浅井さんのおかげで、
商売をさせてもらってきましたので、かえって恐縮してしまいました。
それでも少しでも何かのお役に立てたのであれば、販売者として、
こんなにうれしいことはないです。
浅井さんの奥様は、すごく優しくて、本当にいい方で、病院より
自宅でと、希望された浅井さんを、最期までご自宅で看病され
ました。
随分前から、取引させて頂きましたし、ナイフショーなどでも、
私の妻共々、年に何度かお会いしており、刃物造りのこと、
病気をされてからのことなどなかなか話は尽きず、お線香を
上げさせて頂いたらすぐおいとましようと思っていたのが、つい
話し込んでしまいました。
「他人とは思えんので、また遊びに来て下さいね。」
と言う、過分なお言葉を聞きながら、名残は尽きないまま、
辞去しました。
こちらは、玄関をはいったところに飾られていた、浅井さん
形見の鎚。
柄の部分には、手の型がはっきり付いていました。
癌を患われてからも、最期まで仕事場に来ていた、浅井さんの
魂が宿っているような気がします。
奥様からは、浅井さんの闘病のご様子なども伺いました。
丁度3年前に、胃に癌があるのが見つかり、胃の3分の2を摘出。
癌も全て取れて、よくなるかと思われた時に、肝臓への転移が
見つかり、その後は、抗がん剤を打ちながら、仕事をされていました。
入院はされず、奥様が病院へ送り迎えされていたそうですが、
抗がん剤治療の返りでも、
「さあ、今日は何食べて変えろ」
と言うほど、食欲も旺盛で、元気だったそうです。
結局一度も、戻したりすることもなく、最期まで仕事場へ出て、
がんばっておられたのですが、いろいろ試してきた抗がん剤も
ついに効かなくなり、その後、急に弱られたようです。
ほんとうに、何度思っても残念でなりません・・・
ご自宅を辞去した後、「越前丸勝作」の銘を受け継いだ、
山本直さんにお会いするため、工房の方へ伺いました。
浅井さんが亡くなられた後も、その工房の炉の火は、山本直氏に
より受け継がれています。
山本さんの鍛造の様子なども取材してきましたが、それはまた
別の項でご紹介致します。
工房訪問の後は、創設者10人の一人として尽力したタケフナイフ
ビレッジへ。
こちらの一角には浅井正美コーナーがあり、非売品として作品や、
浅井さんが紹介された雑誌、シャツなどが展示されていました。
浅井さんのネームを入れたシャツ。
最期まで、一鍛冶職人を通した浅井さんらしいデザインですね。
こちらは、展示されていた「水鏡」(非売品)
オールニッポンナイフショーの最優秀賞にが輝いた作品です。
実は、この作品には、同名の分身のようなナイフがあり、
ショーの後、当店で販売させて頂きました。
三層構造のダマスカス多層鋼を二枚重ねて母材とし、さらに白紙を
鍛接して、鏡面仕上げしたカスタムナイフでした。
まだまだいろいろ書きたいこともございますので、また改めて書いて
みようと思います。
浅井さんのご冥福を心からお祈りして、今日はこのあたりで・・・