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アメリカ彦蔵

アメリカ彦蔵(濱田彦藏)という人物をご存じでしょうか?

幕末に、難破漂流後、アメリカへ渡り、やがて帰国して活躍した
人です。

「羆嵐」以降、吉村昭の本が面白く、「漂流」「アメリカ彦蔵」と
読み継いできたのですが、どれもすごく面白い。

特にこの「アメリカ彦蔵」

アメリカ彦蔵

主人公の濱田彦藏は、なんと加古郡播磨町の生まれなんです。
明石のすぐ隣の町・・・こんな近くにこんな人がいたとは!
と驚きました。

幕末に漂流後、アメリカへ渡り、帰国後活躍した人物と言えば
ジョン万次郎が思い浮かびますが、他にもたくさんの人が漂流、帰国
していたことが、この本に描かれています。

中でも、この彦蔵は、破船後、アメリカと中国、日本を何度も行き来し
その間、日本では幕末・維新の動乱期、アメリカでは南北戦争など
体験。
アメリカでは、三代に渡る大統領に会い握手し、汽車にもしばしば乗り、
無線電信を知り、スパイ容疑をかけられたりもします。

日本では、攘夷論者により、命の危険にさらされたり、各国の通訳として
活躍したり、外国との商取引に従事したり、まさに自然・歴史の流れに
翻弄された人生を歩みます。

その様子が、淡々とした文章で描かれており、本当に面白い1冊でした。

 

——— 以下、少しネタバレあります ———-

彦蔵(幼名彦太郎)は13歳の時に船乗り(炊見習い)として、回船に乗って
航海中に嵐にあって難破漂流。

他の乗組員とともに、アメリカの商船に救助され、サンフランシスコに
渡り、滞在します。
その後、日本に帰るために、中国(清)に渡り、帰国しようとしますが、
かなわず、断念し3人の仲間と再度サンフランシスコへ戻ります。
(このとき、別れた仲間のうち数人は上海にいる漂流日本人の手助け
により帰国します)

アメリカでは、税関長をしていたサンダースの助けを得て、学校教育を
受け、日本人として初めてアメリカ大統領(フランクリン・ピアース)、
ピアースの次の大統領ジェームズ・ブキャナンに会ったり、蒸気機関車
にも乗ったりします。

その間に、キリスト教の洗礼を受け、アメリカに帰化

やがて、日本が開国したことを知り、ついに日本に帰国。
アメリカ領事館の通訳として、活躍しますが、攘夷派の侍たちに
命を狙われ、身の危険を感じた彦蔵は三度アメリカへ。

しかし、このときのアメリカは南北戦争の真っ最中で、やはり日本に帰る
ことを決意。
その間に、リンカーン大統領と面会しています。

そして、アメリカ領事館の正式な通訳官として任免を受け、帰国。
通訳を辞めた後は、横浜で商売をしたり、日本で初めての新聞を発行
したり、長崎ではグラバーのもとで働いたりします。

やがて、時代は江戸から明治へ。
兵庫県知事、伊藤博文の助けをかり、19年ぶりに故郷の本庄村へ帰る
のですが・・・

 

4月

早くも4月、今日はもう3日ですね。

3月は、バタバタしていて、まったくブログの更新が出来ませんでした。
ホームページの更新も、何とか3月末までに無事終了。

4月1日の消費増税以降、売り上げの落ち込みが心配されましたが、
おかげさまで、今日ぐらいからだいぶ戻ってきており、この分では
思ったより早く回復しそうです。

今年に入って、まったくトレーニングが出来ていないので、
そろそろ練習もしなきゃ・・・
などと思っていますが、どうなることやら。
まずは、ポニョポニョになったおなかを何とかしないと(^_^;)

万博公園

昨日は、孫を連れて、大阪府吹田市にある、万博公園へ行ってきました。
関西に住んでますと、わりと近いしいつでも行ける場所、なのですが
まだ結婚する前に遊園地だった、「エキスポランド」へ行って以来
30年以上ぶり、「万博公園」になってからは、初めてでした(^_^;)

万博が開催された時は、丁度10歳で、学校からと家族でと、なんどか
行った、思い出深い場所です。

太陽の塔

万博のシンボル、太陽の塔
近くで見ると、すごく大きいです。

太陽の塔

反対側は、こんな感じです。
ちょっと怪しげですよね(笑)

万博公園の梅林

梅林では、丁度梅まつりが開催されていました。

万博公園の梅林

まだ少し早い感じで、来週あたりが見頃かな?

万博公園の梅林

万博公園の梅林

万博公園の梅林

公園はすごく広くて、あちこち見て回りたいのですが、孫たちは
「広場行って、あそぼ!」とうるさいので(^_^;)芝生広場で
遊んだり、遊具のところで遊んだり・・・

万博公園の遊具

四季折々の花が楽しめますし、バーベキューコーナーなどもあり、
大人から子供まで楽しめる公園ですね。

『羆撃ち』と『羆嵐』

少し前に書いた『山賊ダイアリー リアル猟師奮闘記』からのつながりで
狩猟に関する本を何冊か読みました。
その中で、とても印象深かったのが『羆撃ち』と『羆嵐』の2冊。

まず、『羆撃ち』

『羆撃ち』

これは、北海道に住む羆専門のハンター、久保俊治氏によるノンフィクション。
前半は、大学卒業後、就職せず、ハンターとして生きていくことを決意した
著者が、まるで昔の武芸者が修行を積むように、ハンティングの道を究めて
行く様子が描かれています。

それは単に古い伝統を踏襲するだけでなく、アメリカのハンティングスクール
へ入学、優秀な成績で卒業した後、現地アメリカでプロのハンティングガイド
となるなど、近代的なハンティングの技も習得していきます。

後半は、帰国後、狩猟犬フチと山に入って羆を追う様子などが、生き生きと
描かれており、特に著者と愛犬フチとの心温まる交流と、ラストシーンには、
思わずじーんと来るものがあります。

 

続いて、『羆撃ち』からのリンクで、読み始めた『羆嵐』

羆嵐

こちらは、1915年(大正4年)12月に北海道三毛別六線沢(現:苫前町)
で起こった、日本史上最大規模の獣害事件を描いたドキュメンタリー小説。
巨大な羆が、開拓地の農家を数度に渡って襲い、6名が犠牲になり、3名が
重傷を負います。

近郊の農村の男や、警察などが討伐に出ますが、ただ猟銃を持っただけでは
とても、羆に対抗できない。
その恐ろしさと、人の弱さが、息詰まる展開とともに、描かれています。

また、当時の入植地での生活がいかに厳しいものであったか、と言うことも
よく分かる一冊でした。

 
 

小樽雪あかりの路

一昨年行った、白川郷ライトアップと並んで、行きたかった冬のイベント
「小樽雪あかりの路」へ行ってきました。

小樽雪あかりの路

朝一番の飛行機で北海道へ行って、昼前には小樽に到着。
土・日の1泊2日で帰ってくる予定だったのですが、あいにく前日の
大雪の影響で、飛行機が4時間20分遅れ・・・

神戸空港
8時10分発の予定が、12時半神戸空港出発。
千歳から電車に乗り、夕方4時過ぎ、何とか小樽市内のホテルにチェックイン。

荷物を置いて、早々に市内観光に。
しかし、おなかがぺこぺこだったので、まずは腹ごしらえ(笑)
食べ終わって、外に出るといい感じに、雪あかりが始まってました。

小樽雪あかりの路

こちらは、「手宮線会場」です。

小樽雪あかりの路

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小樽雪あかりの路


小樽雪あかりの路

「手宮線」は、北海道で最初の鉄道で、今は廃線になって風情ある跡地が
残っています。

小樽雪あかりの路

いろいろ写真を撮りましたので、載せますね。

小樽雪あかりの路

小樽雪あかりの路

小樽雪あかりの路

小樽雪あかりの路

小樽雪あかりの路

小樽雪あかりの路

続いて「運河会場」へ

小樽雪あかりの路

夏や秋にも来たことがありますが、冬の小樽運河は、とてもきれいです。

小樽雪あかりの路

 

小樽雪あかりの路

運河には、浮き玉キャンドルが並び、運河沿いの散策路にはたくさんの、
オブジェや雪灯籠があります。

小樽雪あかりの路

小樽雪あかりの路

小樽雪あかりの路

小樽雪あかりの路

確かに寒かったのですが、雪も降らず、風もあまりなく、体感的には
それほど寒さを感じず、楽しいひとときを過ごせました。